« 先桜見 | トップページ | さよならの歌 »

2014年3月22日 (土)

美的感覚と芸術

今日はめちゃ有意義な一日だった。まずお昼から昨年、本当に素晴らしいリサイタルをしたパブロと一緒にそのリサイタルを創ってくれた素晴らしいギタリストフェルミンと3人でパブロのファルーカを確認リハーサル。あのときの緊張感や初めてのリサイタルを成功させようっていう強いエネルギーを燃やしてた空気感を思い出した。(忘れているところが多々あってだめだめなとこも自分的にはあったんだけど)
そして、レッスンしたあと超久しぶりにタンゴバイオリンの才能豊かな若手バイオリニスト専光秀紀くんとフリーインプロヴィゼーションセッション。昔は頻繁にやってた音楽を0からかなで、パフォーミングアートの絵を描くように音でいろんなものを自由に描いて行く。回数を重ねてくごとにいろんな阿吽の呼吸の呼吸が生まれてくるから面白い。
そして、最後にイラン料理のお店にアラブ音楽ライブを見に。いつもお世話になっているパーカッションの立岩潤三さんとウードと歌を歌われる荻野さんと日本ではほんとに数少ない(フラメンコバイオリンと同じくらい??)アラブバイオリンの木村さんの演奏を見に。アラブ文化圏の持つ美と日本人のもつ美のつながりから生まれる新しい美や芸術のポテンシャルはまだまだあるんではないかと思わせてくれる美しい音の世界だった。
そもそも、インド音楽ではラーガ、アラブ音楽ではマカーム、日本にもいくつか固有の旋法がある。沖縄の旋法はインドに旅した人が何百何千とある旋法の中から一つしか覚える事ができなくて持って帰ってきたものという説話もあるとか。旋法とはただの音階を越えたとても重要な音楽言語であり、時には土地であり、民族であり、宗教であり、アイデンティテイーにするなる。
逆にジャズでは一小節ごとに調性や旋法がかわることも珍しくない。そういう意味では超節操のない音楽のように見える。しかし、一つの旋法から描き出される色彩や世界があるように、いろんな調性や旋法が描かれることもまた色彩であり、音で絵を描いている事にかわりはない。
アラブ音楽では楽器本来の響きの美しさを聞かせるために開放弦がとても大切だと教えていただいた。クラシックやインド音楽ではその逆で歌う音をだすために、自分で音を歌いコントロールするために開放弦よりも指で押さえることを大事にする。どちらも正解であり、どちらも美しいのである。つまるところ外国の芸術を借りて自分のものにするということは、美的感覚を輸入してくるという行為なんだと思う。最終的には自分が美しい、かっこいい、自分にとって最上のものをつきつめるしかない。それの善し悪しを他人に押し付けるのはつまらないエゴでしかない気がする。そしてその自分の美が他人に受け入れられたり感動してもらえたら、それはまた最上の幸せなのだ。

« 先桜見 | トップページ | さよならの歌 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/124492/55468013

この記事へのトラックバック一覧です: 美的感覚と芸術:

« 先桜見 | トップページ | さよならの歌 »