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2012年3月28日 (水)

ピナ・バウシュ夢の教室

ピナ・バウシュ夢の教室
http://www.pina-yume.com/

べつに映画配給会社のまわしものでもなんでもないんですが
先日紹介した、ピナバウシュ踊り続ける命と合わせて、全ての人にぜひ
みてもらいたい作品。

ベジャールが亡くなったときのベジャールそしてバレエは続くも、
すごいよかったんだけどピナバウシュという人の芸術、意志、想いが
脈々と受け継がれ、そしてその彼女の生み出した表現がバレエエリートや
バレエ団員だけではなくどんな人の人生をも豊かにしうる。

別に振りを覚えて作品を踊るということだけがその豊かさを生み出すのではなくて
彼女と彼女の作品、精神に出会うことで自分を表現するということを
学ぶこと、どう生きて行くかという精神的な豊かさを享受できた子供たちが
本当に幸せに見えてならない。もちろん、技術や知識は大切なもので
それ自体も精神と表裏一体であり言葉であるわけだけど。

踊り続ける命はアーティストとしてのピナに、そしてこの夢の教室は
人間としてのピナバウシュに感動する。どちらかというとこっちの方が
見終わったときに泣く。でもどっちも見てよかったという気持ちはあるんだけど。


芸術家たるもの、その価値は大きく2つしかないと思う。芸術家ならば
作品を残すか、自分の創りだした芸術や技術や表現を受け継ぎそしてさらに
発展させる後進を残すか。どちらか一つに突出した能力をもつ人。
ナディアブーランジェのように才能がありながら作曲をはやばややめて
教育に邁進する人もいるし。ピアソラもクインシージョーンズも
キースジャレットもエグベルトジスモンチもみんなナディアブーランジェの
門下だし。それはそれですごい。彼女が教えたのは作曲技術よりもアイデンティティー
の重要性かもしれない。表現するということの意味。

モーリスラベルに習いにいったガーシュインは二流のラベルになるよりも
一流のガーシュインでいなさいといって作曲を教えることはなかったらしい。
芸術家としてのモーリスラベルが、ガーシュインの唯一の表現を尊重した形だ。
それも素晴らしい判断だと思う。一流は一流の価値をよくわかってるんだろうな。


ピナは作品を創りながらその中で後進を育てる
という両方を同時にやってのけたし、たしかに彼女の意志や表現や技術は
たしかに多くの後進に受け継がれている。そしてオーラがありながら
身近にも思える親しみをもてる存在感。エヴェリングレニーさんや
オードリーヘップバーンなどと共通した柔らかさ、を感じる。

ピナの作品は見る側にもそして、演じる側の人間の人生も豊かにする。
そんな相互性をもっと豊かさ。やっぱり人間力の豊かさとしかいいようがない。
それと愛情かな。ピナの姿勢には常に愛情が感じられる。

どんなにつまらないと思う仕事でも、どんなに下手だと思う共演者とでも
つまらない時間とは自分で創りだしているのかもしれないと思う。
そこに愛情をもってみれば、その時間や作品も面白くなるのではという
ヒントすら与えてくれる。

Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を見てきた。

身体言語を使って身体表現をする。高度で洗練された技術を駆使しながら
それでいて、決して難解な哲学を表現するベジャールやフォーサイスとは違って
日常の何気ない気持ち、日常の自分、自分らしさ、日常の何気ない場面を
切り取ってどこかコミカルでキッチュで、それでいて洗練された芸術表現
として作品を創る力は、日常をこんなにも面白く見れるのか、感じられるのかと
とても楽しい気持ちにしてくれる。自らダンス劇場と名乗る演劇性が色濃く
詰まったその表現形態は、ただ覚えたフレーズやメロディーを垂れ流しする
音楽や、ひたすら隙間も場面展開もない音楽のような退屈で生真面目なバレエ
作品とは明らかに違ってとてもあたかかったり、シニカルだったり
人間らしくて面白い。それは身体言語や身体表現が乏しい人にもできる表現だ。
音楽でいえば、演奏技術や音楽理論がわかっていなくても表現できるし、楽しめる。
春とはどんなもの??夏とは??秋とは??ただそのイメージを形にしてみること。

ピナというとても豊かな人間力をもった人だから形に成せたことなんだろうと思う。
日常の全ての場所、時間は劇場なんだと、そんなふうに見えてくる。この映画
とてもおすすめです。

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