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2011年8月31日 (水)

日本のフラメンコ

々週かな、新人公演という名前のフラメンコの大きなコンクール
の踊り手さんの伴奏をする仕事をしてきたんだけど、

そのコンクール、いろんな突っ込みどころがあって

まず新人公演ていう名前なんだけどベテランとかが出たり
スペインのフラメンコの審査なのに審査員に一人もスペイン人がいなかったり
バレエやフィギュアスケートやクラシックのようなジャンルに比べると
審査の基準がすごい曖昧だったり、
日本を代表するフラメンコのコンクールなんだけど
意外とゆるいところがあったり。

そしてネット上でも、審査や感想、総評などを交えて
やれあれはフラメンコだ、フラメンコじゃない
もっと古典を聞きなさい知りなさいだのやたら上からの人がいたり。
でも、審査員や総評かく人にバレエやクラシックのように国際的な一流のコンクールでの受賞や、国際的な知名度、舞台経験や実績があるわけでもない。
じゃあ、なぜでるんだろう?誰に認められるために??

それなりにいろんな大御所や中堅や才能ある若手の
人と共演したけどこの人はフラメンコ!!なんて日本人は結局見たことないし
そんな人存在しないと思った。

今、尺八の奏者の第一人者はアメリカ人という話を聞いたことはあるが
時代劇、赤穂浪士が外国人だったり、水戸黄門をショーンコネリーが
演じることができるだろうか????すけさんかくさん、日本人で
水戸黄門だけロバートデニーロで、アルパチーノが大岡越前とかある??

もうしわけないけど、ジェロのコンサートみたけど、こぶしとかいっさい
感じられなかったし全然よくなかったわ。北島三郎さんの弟子の方と
仕事一緒になったとき見たけど全然クオリティー高かった。

もし、純粋にフラメンコ知らなかったら、スペイン人の公演を見に行きたい
と自分なら思うわ。同じ高い金だして見に行くなら。

が、しかし、日本のフラメンコはああでもないこうでもない
フラメンコじゃない、それはフラメンコと不毛の議論をしながら
誰に認められて欲しいのかな??

そのコンクールを一つのイベントというか、とりあえずナンにも
目標もないから、なんかそこ目標になんかやってみよっかなあ、とりあえず
みたいなのだったらすごいいいと思うし、仕事をとるためにPR出演とかだったら
わかりやすくてとてもいいわ。
でもフラメンコじゃない、フラメンコだ
とかいってる人たちはスペインのコンクールにでたらよろしいと思うわけですよ。


スペイン人(一流のアーティストとしての)の前で歌ったり、弾いたり、踊ってみせて、私のこれは立派にフラメンコでございましょうか??と聞けばそれで
いいんじゃないかな。だめなら、また頑張って数年してまた見てもらえばいいし、
オーケーなら、はいそこでおめでとう、目的は完成されたねってなるし。

なぜ、そこで、逆にスペイン人ができないことを追求しようとか、
一つの作品を創って日本人にも、何人にもより多くの人に自分の表現を
見てもらいたいって思わないのか本当に不思議。自分らしい、自分ならではの
表現とかスタイルっていうか。コンクールでる手間と時間とお金あるなら
リサイタルや自分の舞台をやる方がよほど大切なことに自分には思える。
その方が自分の表現とよっぽど向き合える。自分の表現力や今とよっぽどむきあえる。コンクールは何百人の客がそれぞれ目当ての応援にくるけど
リサイタルは何百人が自分だけを見にくる。責任感も注目度も
やりがいも、緊張感の質も全然違う。何より全てを自分で創らなければいけない
のだから、学べることの質と量も全然違う。

自分としてはスペイン人にそれはフラメンコじゃないって仕事でいわれても
関係ないね。だって、自分フラメンコの人じゃないし、音楽を演奏したり
作曲するのが仕事だし、逆に君たちこれはできるか??って聞きたい。
別に同じように弾けるようには絶対なりたくないし。

フラメンコギターの神、パコデルシアはスーパーギタートリオやチックコリアと
共演するにあたって、はじめまったく自分がインプロビゼーションや同じように
演奏を出来なくてかなり悩んだ末にその中で自分らしい即興演奏を見いだして
それをまたフラメンコに還元したし、その恩恵を今のフラメンコギタリストは
もれなく受けてるわけで、ラテンやジャズの影響を色濃く受けてるわけで
それを今更昔のスタイルに戻すなんてこと到底できるわけないわけで。
もし、パコが頑にフラメンコだけを守り続けたら、今のフラメンコは存在してない。

パコがいなかったら、今の日本のフラメンコギタリストの大半はフラメンコ
してなかったんじゃないかな。でも、パコの核にあるのは子供の時から
聞いたり弾いたりしているフラメンコでもあるんだろうけど。それはパコだから。


フラメンコだ、フラメンコじゃないっていってるうちはものまね芸人に近い感覚なんじゃないかな。その歌い方はサザンじゃないみたいな。

いつか、日本人がスペイン人の一流アーティスト相手に、おまえこれできるか??っていって笑ってるような姿を見てみたい。スペイン人が日本人の表現をまねしたり取り入れたり、勉強したい、習ってみたいって思うようなこと。

永遠にスペイン人さま、私の歌はフラメンコでありましょうか??っていう構図は変わらないんじゃないか。なんなら、フラメンコというジャンルすら一回捨てて新しいジャンルの芸術でもつくったらどうかね、


ちなみに、舞踏という日本の踊りのスタイルは外国人や外国の多くの舞踊家に多大に影響を与えて、習いにくる外国人もたくさんいる。


結局そういう自分だけの表現、スタイルというものを創造していきたいなって、あらためて思ったっていう覚え書きなんだけど。

じゃあ、なんで自分はフラメンコやってるかって、面白いから。リズムも表現も音楽的なアイデアも、形式も、いろいろ面白いから。学ぶことも無限にある。
でもだからって、フラメンコになりたくはない。自分の表現のための栄養と
そこで出会う人とか創る時間が面白いから。もし、純粋なフラメンコを創りたいならオールスペイン人でやるべきだし、やっていただいてなんの不満もない。

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