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2008年11月20日 (木)

仕事とは責任なり


今日は久しぶりにフラメンコのリハーサルが2つ立て続けにあった。

上半期はフラメンコの仕事、音楽に従事して力を入れていたのでそれほど時間がたっているわけではないが、下半期はジャズの方に力を入れているし毎日ジャズのことばかり考えているので意識はとても遠ざかっている。

それでも、時間がたてばコンパス感は戻ってくるし、フラメンコの感覚も戻ってくる。それにジャズの中で発見したことも新しくフラメンコに還元することもできてきている。

常に新しいことを見つける事、新しい挑戦や実験をできていることがとにかく大切なのだ。

自分を信頼してあえてフラメンコというバイオリンが必要ないジャンルにおいて、あえて自分を起用してくれているという事に関して本当に感謝の思いとそして強い責任感、使命感を感じる。

もちろん、ジャズのように自分が聴衆によりよい音楽、音楽鑑賞というものを届けるという事においても大きな責任は派生するが、それとはまた違う責任を感じる。

あえて自分を起用していただいていることに対する感謝の気持ちともちろん多額のサラリーをいただいてることに対して、それだけの付加価値、価値をちゃんと創造できなければならないと思う。バイオリンがもつ豊かさをどんな音楽においても的確に導きだしていかなければバイオリンを演奏する全ての奏者にも失礼にあたると思う。


レッスンにしてもそうだと思う。自分を信頼して習いにきていただいているということはその人の人生の一部を預かっている、その人の人生においてとても重要な部分を任せていただいているし、また音楽やジャズやバイオリンの魅力をより豊かに伝える、その魅力に誤解を招くような事をしてはいけないということ。

先日、ある仕事の打ち上げで、プロを目指していながら努力をしていないという共演者の生徒さんにこんな話をした。プロであるということはアマチュアの2倍や3倍ではなく、少なくとも5倍は練習して音楽の事を考え追求しなくてはならないし、先生として生徒に教えるという事は生徒が6時間練習してきたら先生は12時間練習しなくてはならないということ。

もし薄っぺらいことしか持ち合わせていないのに人を導こうとする事は詐称行為でしかない。

仕事というものはつまり責任そのものであり、その責任に対する意識の強さ、高さ、それと同時に情熱がどれだけあるかでいい仕事ができるか、信頼して自分に任せてくれている人に答えられるかが決まると思う。いいかえると、それができるのが本当のプロであり、大人というものではないかと思う。

もちろん野球と同じで、それに対する評価、対価もしっかり与えられるべきだとも思うけれど。

世界的に有名な音楽教育者、ナディア・ブーランジェもこういっている。

生徒に厳しい事をいうのだから自分にはもっと厳しくなければならないと。

それでも、自分が何かを誰かに与えさせてもらえるチャンスをいただいているというのは本当に幸せなことだと感じる今日このごろである。


2008年11月17日 (月)

予測不能の重要性


本日は、音楽に合わせて大きな一枚の紙に即興で絵を描いていくというパフォーマンスを見た。

映像や舞踊との共演はあったけど、絵の即興は初めて見たのですごい新鮮で自分でとてもやりたくなった。普段、何気なく絵を描く事があるので自ら絵の即興ということは日常的にカフェでもどこでもふとやってるので、その作業に似てるなと感じるところもとてもあった。

そこで、パフォーマンス終了後に、パフォーマンスの評価として、落ちがわかったり何をしてるかわかったらだめだという感想をいっている人がいてふむふむと思った。


たしかに漫才もそうだし、音楽のフリーインプロヴィゼイションにしても終わりを予感させたら興ざめしてしまう。映画でもドラマでも小説でもそうだ。落ちが見えるとつまらないものになってしまう。

人の優しさもそういえばそうなんだなと思った。のちのちあれがこんな形で活きてくるなんて、すごい感謝しなければならないというのが本当の優しさであったりする。

じゃあ、その予測不能はどのようにして創られるべきなのか。あえて意図的に技術的に組み込まれるべきなのか。それもまた難しい問題だ。手法として組こまれた驚き。それもある意味つまらないものな気がする。

昔、何かでよんだことがあるが、万人にうける物語というのは読者の希望を裏切りながらも読者の期待に答えていくものだという。小さく期待を裏切り続けながら、大きく期待に答える。それが面白い物語なのだという。即興演奏もそうなのだろうか???

恋愛映画なんかにしてもそうかもしれない。あえて、二転三転四転5転させておいてハッピーエンドみたいな。それも以外な形でハッピーエンド。

しかし、そう考えると、作曲やインプロビゼーションに必要なことは、いろんなシーンを創れるだけの経験と色彩のパレット、ドラマの手法、そして感情の起伏、エネルギーのダイナミクス、技術力、表現力、表情、いろいろな要素をもった豊かな人間でなくては表現できないということだ。

自分の大好きな演奏家であるキースジャレットの演奏にしてもそのバランス感覚たるやすごいものがある。

たとえば、今年のオリンピックではウサインボルトが常識では考えられない記録で、それも流しながら世界記録。男子100メートルリレーでは他国のバトンミスで日本がまさかの銅メダル獲得ですごい感動。でも、ボルトの記録はこれ以降予測可能のドラマになってしまうわけで人々の感動の基準はより厳しくなる。

常に新しい予測可能が要求されるようになるけど、いいものはいつまでもいいという発想も逆にあるな。映画でもストーリーわかってんのに何度みても感動するものもある。

予測不能と感動についてもっと深く考えてみたいな。

2008年11月 1日 (土)

呼吸


音楽とは、簡単な事を表現するためにいったいどれほどの事を考えて練習して
いろんな要素を自然に織り込めるか、とても深く長い道のりだと思う。

たった4っつの音を出すだけでも、いろんな意味や価値や色合いや硬度や質感や陰影や
音の長さ、タイミング、音の切り方・・・いろいろな可能性が考えられる。

どういう風景を描きたいのか、どういう感覚に訴えたいのか。どういう表現をしたいのか。

まずは音をはっきりクリアに出す、輪郭を感じさせる、楽器を最大限にならす、パルスをしっかり感じさせる
音の質感をより的確に選ぶ、もしくはなまらせるということも考えられる。

ただ、一番、音に込めなくてはいけないのは、息吹、呼吸ではないのかなと今日は思った。
呼吸、音が、音楽が呼吸をしていてはじめて音楽がいきもになるのではないか、人に届くのではないか。今日は演奏していてそういう事を感じた。

弓の動きと自分の呼吸が同機して、自分の感情の呼吸と音の息吹がいったいとなってはじめてそれが自分の音楽になるのではないかと思った。もちろんそれを可能にするテクニックや音色のパレットは必要だし、いろんなリズムの含みも自分の中になくてはいけないし、ハーモニーもいろいろなくてはいけないけど。どんな音楽、どんな音を出すにしてもそこが基本ではないかなと思った。

呼吸。


ひ〜ひ〜ふ〜〜。

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