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2008年10月27日 (月)

文化人類学


よくよく、自分の幼少期、青年期、といった自己形成について分析するんだけど、もっとこういうところに住んでいたらどんな風になっていたかとか、どんな友達ができていたかとか、まったく違う自分というパラレルワールドについてあれこれ想像しては楽しんでみたりもする。

かなり早い段階で音楽とバイオリンとピアノには出会っていたわけで、音楽のない人生になっていたかというとそれは考えられないので、音楽はとりあえずどんな形であれ続けていただろう。

それでも、テニスの錦織選手のようにたとえば、10代の前半でアメリカにいっていたら、ヨーロッパにいっていたら自分にはどんな友達ができて、どんな自分になっていて、今頃何をしていただろうかと考える。

人間としてのバランス感覚というのはあるものごとの中心にいないことで養われる気がする。たとえば、それはその国の首都で大都会だったり、その分野の第一人者の子供であったりということ。
辺境の名もない親の子供に生まれ、貧しい町で文化レベルの高くないところで育つ。

その子供は、そういうところから人を観察して、町を見て、そしてそうでないところにいくようになる。そうすることで、そのこの人間としての許容範囲や常識はとても広くなるから、いろんな視点をもつということにもなる。もし恵まれた環境で、豊かなものだけを享受して育ったらなかなかそういう視点は得られないだろう。仏陀がカピバラトゥーの王になるという地位をすてて世俗に、それも苦行や貧困の中に進んで入っていったのもそのバランス感覚を養うこと、そのものを得るためだった考えられるし。

レッスンをしていても、若い巧い子たちを教えるのはとても楽しい。他人の夢に貢献できる、それを膨らませられる挑戦に自分も船員のように一躍かえるのはとても楽しいしやりがある。でもそうでない初心者の人に音楽の楽しさを伝えたり、伸ばしたり、限られた中でどれだけ豊かなものを自分から創りだせるかという挑戦はある意味もっともっと難しいしやりがいのあること。そういう両方の極端な部分、バランス感覚をもっていれることがとても楽しい。どうしたら限られた中楽しいことを想像できるか
。基本にかえるという視点。基本の大切さをちゃんと感じられることだったり。

今の自分がいるのは数人の幼なじみとずっと深く対話ができたからだとほんとに感じる。深く広い含みをもっていて対話ができる友人がいたことで自分のバランス感覚や、世界観、感覚は少なからず膨らませてもらえた。もし、違う道を歩んで、違う人生を歩んでいたらそうなっていたかはわからない。そういう意味でそういう幼なじみであったり友達にはとても感謝している。そして、それは今になってもいくつになっても変わる事ない関係で、とても大切なものだ。

昔は毎日遊んでいた友達も、今では一年や二年に一度しか会えない。それでも、それはその昔の毎日の延長線上にあるのだ。それはあくまで昔から続けてきた対話の続きなのだ。考え続けることは一生続くので。

さて、そして文化人類学について昨日は、一年ぶりにあった友人ともりあがったのだけど、世界には神話やおとぎ話に共通する骨格、条件があって、それが天文学に基づいているという話で多いにもりあがった。文化の歴史、人類の歴史そのものであり、自分たちは誰なのか、日本人とはそもそも何だったのか?そういうことを考えるのはほんとに楽しい。もっと日本の音楽やまだまだ知られてない歴史、そういうものももっと知りたいと思う。

有名なナディアブーランジェという音楽の教師は、世界中で最高の音楽家に数えられる教え子を数多く育てたけど、結局彼女が大切にしたのは生徒のルーツであったりアイデンティティーであったりという究極の個性の部分だった。ブラジル人のジスモンチ彼女の教えを受けた後、アマゾンで生活して土着の音楽やリズム、文化を多く吸収したし、ピアソラはタンゴという音楽に革命を起こす事になった。

今の時代、自分たちの世代は日本の伝統音楽をアイデンティティーといえるほどに享受していないし、体の中に入っているかは謎だけど、去年邦楽を邦楽器と共演したとき、不思議な間だったり日本の音使いの楽しさをとても感じた。理論的にスケールを借用してとか、理論上アナライズして取り入れるといった借り物では意味をなさないと思う。ジスモンチのようにアマゾンでくらしたり、ピアソラのように自らバンドネオンを演奏するからほんとの意味であたらしい融合をもたらしたのだろうと思う。ジスモンチの両親はイタリア系のピアニストと中東系のギタリストであったし。新しい文化と文化を融合するということは、そのどちらにも深く分け入って感覚的にも精通しなくてはならないということなんだと思う。そんな事もふと考えたりしている今日この頃。ナディアブーランジェに教わってみたかった。

もっと、いろんな文化を知りたいなあ。一生でどれくらいのことを知れるんだろうか?!

2008年10月26日 (日)

久しぶりにかいてみよう。ほんとに久しぶり。


先日、perfumeという映画を見た。

これは非常に匂いに敏感な人を描いた映画で少々残酷な描写もあるため、怖い映画が苦手な人にはお薦めできない映画ではあるけれど、なんだか見ていて不思議な映画だ。

世の中の全てのものには匂いがあるのだろうか??完全なる無臭というのはどういうことなのだろう??
映画の主人公は全ての匂いをかぎわけることができる。いわば香りのハーモニー。音楽でいえば全てのおとやハーモニーを聞き分ける事ができるのと同じ。

そもそも感覚に大別して五感といわれるものがある。

視覚
聴覚
嗅覚
触覚
味覚

それぞれ、全ての感覚に記憶を内包する機能があるのだろうと思う。

懐かしい味。母親の味や小さい頃好きだったお菓子や飲み物な味。
小さい頃の毛布の感覚。タオルケットの優しい感じ。
懐かしい景色。
懐かしい歌、メロディーや声。
そして、懐かしい人の香り。香水やその場所のもつ匂い。

ノスタルジースポットとでも名付けたいそれぞれのポイントというかスポットがある。

小さい頃遊んだ、山手や本牧やそういう横浜全体。よく10代の前半よく聞いていたR&Bの音楽やメロディー、サウンド、春や秋の季節の匂い。そのころよく食べてたお菓子。

今でも、その全てを携えてそこにいけば不思議なわくわくとノスタルジーな気持ちがよみがえる。なんだかわくわく夢を描いていた気持ちになれる。いくつになっても変わらないものがある。


そんなものを詰め込んだ曲を完成させたいと思う今日このごろ。音と香りと景色と味と空気の感じ。

今日はそんな曲を描こうと思う。

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