2016年2月 2日 (火)

早川雪洲

ふとアカデミー賞に関して黒人がボイコットした時に、あれを差別と一概に呼んでいいものかと思った。そもそもアメリカ映画は白人文化であったし、アカデミー賞は白人社会の中の一大イベントであったわけで白人の娯楽であったわけだから。そんな時代に黄色い猿呼ばわりされていた日本人が自らの意思でアメリカに渡って銀幕のスターになった俳優もいた。本当に人種として、人間として差別されているならハンフリー・ボガードが早川雪洲には憧れなかっただろうし、スピルバーグやジョージ・ルーカスが黒澤や三船に憧れることはなかったはず。かといって黒澤や三船がアカデミー賞を取ることはまた別の問題だ。坂本龍一はアカデミー賞とったけど。

いつもこう例えるとしっくりくるけど、ロバートデニーロやアルパチーノでも水戸黄門を演じることはできないわけで、サミュエルLジャクソンとウィル・スミスでも助さん格さんは演じることはできないわけで。だからスターウォーズを代わりに作ったような話で。アカデミー賞は一旦置いといて黒人映画や黒人俳優のための賞があっても良かったのかもしれないなと。ちなみにグラミー賞は80年代から黒人ミュージシャンが主役になっているという。それも歴史的な背景だったり文化のエリア的なことが映画と音楽では違うからだったりして。

とりあえず早川雪洲って、かっけ〜〜な〜、すげ〜な〜っていう話。

2014年10月30日 (木)

11月2日 ヴァイオリンを背負ったカエルと巡る音景色の旅


今週末、11月2日のお昼過ぎ
自分としては先日、赤レンガのリサイタルでいろいろ出し尽くしたと思っていながら、さらにこれは濃密に、相当に、完璧に自分のいままでだすことのかった本当の自分の好きな音の世界にチャレンジできる機会です。
森本由希子さんという素晴らしいバイオリニストでありながらイラストレーターでもある彼女に自分の今までつくってきたお話に絵を描いてもらい、さらにそこから曲を創ったというライブです。

楽器編成が、ぜひ一度コラボレーションしてみたかったハープとついに共演できるの最高です。ハープは菊池成孔さんや林正樹さんグループでも活躍されている堀米綾さんにお願いして、完全に自分が描いてた音を形にしてくれるのでかなりテンションあがってます。そこに、普段から信頼あつい感性豊かなピアニストの山本光恵さんにピアノのみならずいろいろやってもらい、妻のトルンのいろいろな自然を想起させる音の世界。私は素晴らしいバイオリニストがいるので今回初めて中世フィドルのためのオリジナルをつくりハープとトルンと中世フィドルのための新曲をやらせていただきますが、これがとてもたまらなく楽しい。それだけでなく全体でのアンサンブル曲もたまらなく楽しいです。普段聞けない音世界を体験することに渇望されてる皆様、ぜひ!!絵も素晴らしいですよ。

11月2日(日)
14時半会場 15時開演
チャージ2500円
場所 四谷茶会記

森本有希子(絵、バイオリン)
森川拓哉(作曲、バイオリン、中世フィドル、ピアノ、アルトトルン)
堀米綾(ハープ)
小栗久美子(トルン、アルトトルン)
山本光恵(ピアノ、シンセ、グロッケン、ガムラン)

2014年9月28日 (日)

伝統と革新

茶器の世界における千利休の系譜のような方、楽焼きの当代当主樂吉左衛門さんいわく、新しく色彩的で洗練されたものと、土や岩から掘り出したきたようなごつごつした原始的なものの両方に惹かれ、常にその両方のはざまで新しい作風について悩まれるそうだ。

伝統と革新とはまったく相反する力、方向だ。

伝統とは形式、技術、心構え、全てにおいて先人の謂れを死守して行かなければならない。寸分のくるいも許されない。

革新とは伝統の中にあった素材から新しい可能性を模索していき、究極はいままで存在していなかったものを見つけ出し生み出すことだ。

一人な偉大な師匠がいたとして、はたしてその弟子は革新に向かうか、伝統を守ることに向かうか。それは必ず両方存在するのではないだろうか。その師匠からとても革新的な芸術を生み出す弟子も、まるでその師匠の背中に見えてくるくらいしっかりとその芸を継承している弟子もいる。

今日はその伝統を守る人の芸の美しさをかいまみた。古くても良いものは常新しい。そういう古い良き芸術も最近とても真新しくとても面白く見える。たくさん学ぶことはある。

いつもふと食べたくなる味があるように、見たくなったときにそれを見せてくれる存在はとてもありがたい。

芸術はそういう永遠に残るべき素晴らしい作品や芸を守る人達もとても大切なのだと今日は感じさせていただけた。

2014年9月22日 (月)

違和感

違和感あるものって半端無く目立つし、気になる。例えば、宇宙飛行士のプレゼンテーションなのにギターがはじめからおいてあったりするとどうするんだろうと。彼は最終的にDavid BowieのSpace Oddityを歌い、NO Fearと叫んでスタンディングオベーションになった。David BowieのSpace Oddityといえば、まだ疑惑の月面着陸したばかりの時の歌で、NASAをはじめ宇宙を夢見た世代の宇宙関係者にとっては青春の一曲らしい。そんな意味もあり彼のパフォーマンスは鳥肌ものだった。映画でもそういう伏線はよくある。
もともとジェリーゴールドスミスの骨太でエキゾチックで生命力あふれる映画音楽が好きなこともあり猿の惑星5部作が大好きだったのだが、現在やってるリメイク2作目も含め新3部作になるのか5部作になるのかは分からないけど、新シリーズも自分にとっては期待通りの出来映えだった。新作は1作目の方がいいかなとは思ったけど。
そんな旧作でも新作でもやはり一番ドキッとするシーンはもっとも人間にとって違和感ある行動をAPEがとる瞬間だ。ほんとにどきっとする。そのどきっとを期待して映画館に確信犯的にいくわけだが。
来月の赤レンガ倉庫ホールでのリサイタルでは舞台上にサックスからお琴までぜったい誰も弾く人いないのに置いてこうかな。みんなそれが気になって集中してもらなかったりして。
昨日、wifeがゲスト演奏したバラライカのオーケストラの公演でもいきなりスペシャルゲストで笑福亭鶴瓶師匠が出てきてびっくりした。その違和感といったらもう。前日にトーク番組見てたから昨晩お会いしたような親近感も勝手にありつつ、トークもさすが面白かったし、不思議感満載だった。
そういった違和感がなくても面白いものが王道と呼ばれるんだろうけど、幸せの黄色いハンカチのラストは王道でもわかってても鳥肌たって号泣だったな。
「違和感」というものは言い換えれば非日常かもしれないしSFかもしれないけどなんか夢があっていいわ。と思ってみたり・・・。

2014年9月 6日 (土)

伴奏者

伴奏って面白いなと思う。とても素晴らしい伴奏者の方はたくさんいるけど、人それぞれの良さが全然違ってこっちが行ったところに全部ついてきてくれることでこちらが提示した空間や方向性を一緒に広げてくれる人もいれば、シンプルに土台をずっと固めてくれて安心して自由に遊ばせてくれる人もいるし、あえて逆にいろんな発想をぶつけてきてくれる遊んでくれる伴奏者もいる。ドラえもん型、どんとこい型、自由人型。

無駄に音数が多くて全然すきまもなければこちらの音も聞いてない伴奏には、もうちょっと呼吸ができる程度のスペースは欲しいなと思うけど。自分が人の伴奏するときは気をつけなければいけない。

よく考えるとほんとに会話と同じだなと思う。

そして、緊張しててもその人と一緒だと安心して自分の演奏ができるという神様のような伴奏者がいる。これはすごい。その人の伴奏にのっかるだけで安心感すら得られる。自分でも忘れていたようなフレーズをたくさん思い出したり引き出してくれたりする。神樣型の伴奏者。ありがたい存在です。どのスタイルも極めている人は神様型かもしれない。

2014年9月 1日 (月)

Art

最近気になる言葉の定義と意味
「鬼才」と「天才」の違い・・・鬼才エルメトパスコアル 天才ジスモンチということか・・・??野球でいうと江夏は鬼才で江川は天才?サッカーでいうとマラドーナは鬼才でメッシは天才か?
「芸術(Art)」という言葉の定義とイメージ
そもそも人工的なものと自然的なものの線引きがArtの本来の語源のイメージに近いと思うけど、いつからそのArtificialなものがArtisticなものになったのか。アートのイメージと定義は言語学上の正解はどうなってるんでしょう。同様に「表現」という言葉からイメージすることも人によって、心情的感情的な表現だったり舞台演出、物語的なものだったり、色彩的なことだったり個々に最も興味があることのイメージを付加しがちな傾向が強いと思われる昨今、表現の本来的な定義とは??その辺の言葉のイメージの齟齬が芸術論で無意味な価値論争を巻き起こしたり、妙に無意味な自己主張をする「自称芸術家」という曖昧な存在を生み出す原因になっているような気がする。
個々人が言葉にいろんなイメージを付加し続けた事でArtも表現も言葉として内包するイメージが肥大化しすぎて一人歩きというのか暴走ぎみな気がする。芸術とはそんなえらいものでもなければ、特別なものでもなく、無意味なものでもない。人間が創りだすものという本来のシンプルなところに一度立ち戻るといいのではないかと思う昨今。で、芸術という言葉の定義は??
芸術の価値は人間の生み出す力を再認識できるという部分が大きいと思うし、見た事無い、聞いた事無いものを見せてくれる喜びだったり、わくわくだったり。うお〜こんなことできるのかすげーなーみたいなところだったり。ジョジョの荒木飛呂彦さんが作品のテーマは人間讃歌といっていたけど、そんなようなところではないのかなと思ったり。音楽家なら自分が聞いてみたいけどそんな音楽ないからそういう曲や演奏を模索するしするし画家なら見てみたい絵がないから自分で描く。そんなようなことではなかろうか。
Art

2014年8月12日 (火)

夏らしいこと

海水浴、花火大会、線香花火対決、ビアガーデンでワイワイ

ここ数年、どれも夢を見ながら「来年こそは」と思い夏を終える私。

そのかわりにお仕事がどれも内容がとても充実しているのでいいのです。
いいのですっ

しかし、いった気分にでもなりたいので
インターネットで旅にでる。

夏になると関西に行きたくなったり、白馬にいきたくなったり
しますけど、今年はなんといとしのマイ散歩スポット鎌倉にまったく
いけていない。

5才から高校生まで毎日のように通い続けると
本能的に帰りたくなるもので。行きたくてしょうがない。
中華街や元町しかりだけど。

しかも嫁の影響で、はまって見ていたドラマ
「最後から二番目」の恋のロケ地にもなっていたのでとても行きたい。
くまなく一つ一ついきたい。ドラマででてきたあの場所やお店にいきたい。ということで、必ずや8月後半に行ける事を夢みて
今日のネット遠足はおわりにしよう。そしてお仕事がんばろう。
現実逃避終了〜。

「最後から二番名の恋」
http://matome.naver.jp/odai/2133076351410087401

2014年6月12日 (木)

Rosco Motion Orchestra ライブ!!

Rosco Motion Orchestra

来週の月曜日、日本で唯一な編成のグループ
Rosco Motion Orchestra ライブです!!
弦楽器とピアノ、マリンバ、ハープ、トルン、ホルン、パーカッション
との音の重なりがとてもいい感じです!私は普段とは違う一面な感じでカルテットの中でやらせていただいてます。
皆様ぜひ!
ご予約はお気軽に私まで。FacebookのメールでもOK!!

6月16日(月) 19:00 start (18:30 open)
@渋谷区文化総合センター大和田6F「伝承ホール」
ticket:3000 yen
(全席自由・未就学児入場不可)
http://www.roscomotion.com/

2014年6月 6日 (金)

他人と知人

今日の雑記。
社会学を勉強したいたときに一番興味をもったのが「認識」という概念。社会学でも認識は現象学などと関連して扱われる大きなテーマの一つだけど、他人と知人の違いが社会を形成する大きな要素で。他人と知人は同じ人間でありながらその空間で同居する人間が社会行動を選択するようになるわけで。もし、例えば駅にいるその瞬間同居する他人が全員、知人だったらと空想したら不思議な感じがした。まず挨拶を一人一人にしてこの方はこういう方で一人一人紹介しはじめて、自分が鼻歌を歌っていても何もおかしくはない。しかし、ふとある瞬間またまわりの人が他人に戻ったらそれらの行為は変人なわけで。犬はイヌ、人はヒト、他人と知人。
人類が全員、皆知人だったらどんな社会になるんだか・・・。そういう映画見てみたい。

2014年5月18日 (日)

音と身体言語

音と身体言語 とても身体言語豊かな即興ダンサーとの即興はその音や演じる 場面や間、空間から自分でもだしことないような新しい音が 生まれる。その一度だした音は次からは自分の言葉として また新たに自分の音楽言語になる。そんなやりとりがとても 楽しい。 Isadora Duncan https://www.youtube.com/watch?v=mKtQWU2ifOs William Forsythe https://www.youtube.com/watch?v=hDTu7jF_EwY Israel Galvan https://www.youtube.com/watch?v=BTXf01hRr94

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